“遊ぶ”人が幸せになるよね
「ミニマリストの部屋質素すぎ~刑務所かよ(笑)」
とか
「貧乏くさくない?(笑)」
とか
「使えるモノ捨てるとかもったいない!」
とか言ってミニマリストを批判する人に言いたい。
最低限のモノで生活するってゆう遊びの楽しさ分かってないな(笑)
最低限のモノにこだわるのって、それが直接社会の貢献になるわけではないから、もう“遊び”なんだよね。
だけど、この類の“遊び”って、パチンコとかスマホゲームってよりは、スポーツとか読書の“遊び”に近いと思うんだ。
一般的な言い方にするなら「健全な“遊び”」って感じかな。
しかも、ミニマルゲーム(←最低限で生活するという遊び)は、健全どころか、お金は貯まるし、決断力は研ぎ澄まされるし、考える力が身につくんだよね。
めちゃくちゃ最高な“遊び”だよね(笑)
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<追記>
あの有名なホリエモンさんは、『すべての教育は「洗脳」である』という本の中でこんなことを言っていた。
これからも、新しい仕事はどんどん生まれてくるだろう。その中には、あなたの遊びの技術、感性を必要とするものが必ずある。だからもっと全力で遊ぼう。「社会人が遊んでばかりいてはいけない」などという考え方はすでに時代遅れでしかない。楽しいと思えることの中にこそ、未来はあるのだ。
堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である:21世紀の脱・学校論』
ちょっと節約のために~って言って始めたミニマルゲームが楽しくなっちゃって“遊び”化する。そして、その“遊び”に没頭した結果、決断力が身に着いたり、考える力が磨かれたり、幸福度が上がったり、たくさんのメリットに後から気が付く。
そのまま、ブロガーとかユーチューバーとかになっちゃって、仕事化してる人もいるよね。
人は“没頭”してる時に、一番その人の力が発揮される。
“没頭”してる時に周りの目とか、将来の不安とか、過去の嫌なこととか考える人はいないよね。
ミニマリストになって本当に自分は幸せになれるのか?とか考えないで、「なんとなく幸せになれそうな気がする、理論はよく分からないけどやってみるか!」ぐらいの気持ちで、全力で“遊ん”でみるのがいいと思うな。
“遊ぶ”ことに時間を使って、後悔する人っていないと思うんだ。
だって、人生のほとんどは暇つぶしの“遊び”だもんね。
そんなことない!自分は社会に貢献するために生きてるんだ!やりたくないことも社会のためにやるぞ!って感じで生きてて、人生の最後で本当に自分は社会に貢献できてたのか?って疑問に思っても、確認のしようがないよね。
どうせ思うなら、本当に自分は全力で“遊ん”できたか?って自分に聞いて、それに自信もって「YES!」と答えられる人生を送りたいと思うよ。
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<今日の一言>